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A Certain smile,A certain sadness

洋服作ったりお酒飲んだり音楽聴いたりお笑い見たりラジオ聴いたり

南海キャンディーズ10年史

山里「10周年たったものが有るんですよ。

   忘れもしませんよ、あの頃は8月だったと思う訳ですよ。

   8月の暑い日差しの中で結ばれたわけですよ、南海キャンディーズが。

   それから10年経ちましたよ。

   なぜ先月10周年の月にそれを(ラジオで)言わなかったのか。

   最近すごく仲良いのよ。テレビでもよく言ってるんですけど

   それよりも一番仲良い時期に入ったかもしれない」

リスナーからのメールで結成は8月ではなく6月だとwww

 2003年

山里「山里が山崎静代を誘って結成。

   この頃しずちゃん山崎二宮ってコンビ組んでて

   東京に行く寸前だったんだから。

   東京に行くって聞いて俺は”東京は今芸人を必要としてない”って

          嘘を教えて断念させて解散させて組んでる、この時期。

          そっからね、2003年M-1準決勝進出したりとか有りましたけど」

2004年

山里「2004年はABCお笑い新人グランプリも取りました。

   そっからM-1GP2004で

          南海キャンディーズは今までとガラッと180度変わりましたね」

2005年

山里「2005年は受賞ラッシュですよ私たち。それはいいとしまして。

   年表見て一番気になるのが2005年4月日本テレビ落下女がスタートとか

   見るとこの時仲悪かったなぁと思い出がある。まさにこの辺。

   上方漫才大賞優秀新人賞獲ってる時はまだね、そんなに。

   兆しはあったけどなんかちょっとギスギスしてんなぁとか。

   でもまぁネタが出来たら夜ネタ合わせしたいからとか

          言って近くの公園行ってやったりしてる時期。

   でも落下女がスタートした位の時は激烈に悪かった。2005年。

   凄かったもん。お互い一緒にコントやってる時に

   俺が気に入らないって言って演出の安島さんに

   ”何なんすか、あのコント。分かってないでしょ、アレ(しずちゃん)、

   コントが”って言って。俺もコント分からないんだけど。

   って言ってたらおぎやはぎさんとか皆

   ”しずちゃんは使いやすい”っていう風に言ってたって時期なんだけども。

   南海パラダイスって俺たちの冠番組始まって、まぁこの時も。

   一番仲悪い時ダメなのがゲストが居る、MCが南海キャンディーズ

   本当に俺クズだから

   一番仲悪い時は台本で作家さんがある程度想定して

   ”こうこうこうで山里が

   しずちゃんに振ってしずちゃんがボケて”って書くでしょ?

   全部俺頭に入れるから。

   全部頭に入れてその振るやつ以外で行くっていうね。

   ”芸人だったら急に来たやつでボケてごらんなさいよ”

   でその前には

   ”台本読まないでスタジオ入るなんて無礼だよ”って喧嘩して。

   台本読んだら違うボケ入れるって一番嫌な時期ね。

   そっからどんどん笑っていいとも!なんかも決まりまして

   俺が本番中喋らないって病気になりまして。で結構早めに卒業と。

   これは掘り下げるのやめましょう」

 

2006年

山里「私達ゆずのアルバム”りぼん”に出てますからね。ゆずとコラボして。

   イケイケですよ、南海キャンディーズこの頃。凄かったんだから。

   自分達でも”あー凄かったなぁ”って。チヤホヤが。

   でゆずさんから直接FAX来たのよ、吉本に。

   ”今度出すアルバムにどうしても南海キャンディーズさんのあの感じが

   欲しいです”って。二つ返事で行ってコントして。

   この頃しずちゃんがガチで悠仁さんに惚れるって時期だったですけども。

   本気で好きになっちゃうっていうね。

   コンサートに呼ばれた時にハグのシーンがあってね、

   ガチで好き過ぎて離れなくて

   俺がK-1のレフェリーみたいに膝入れて剥がしたら

   ボケじゃない舌打ちをしてきたっていう時期ですよ。

   で2006年何が有ったかといいますと最も仲が悪くなる切っ掛けがね

   映画フラガール公開ですよ。地獄。山里この時期暗黒期ですね。

   初詣の度に向こうの失敗を願ってた時期ですね。

   初詣で色んな寺行く度に”コケますように”ってずっと言ってた時期ですね。

   でその頃そんな山里を慰めるように有楽町でヤンピースという番組が

   始まりましてですね、フライデースペシャルやってましたけどもね、

   その前にはオールナイトニッポンもやらして貰ってましたから。

   有楽町ねぇ居たんですよ、私だって。

   いつの間にか干されてしまって。

   干されたんじゃない、俺の力不足で終わっただけなんですけど。

   フォロー下手でただの悪口になっちゃいましたけども」

2007年

山里「で2007年にはアカデミー賞新人俳優賞をしずちゃんが獲ったんですよ。

   つまりこれをしずちゃんが獲ったって事は僕がアカデミー賞の

   インタビュアーやって地獄みたいになった。タモさんから

   ”インタすべる”って名前貰いまして。懐かしいなぁ。」

2008年

山里「2008年にM-1GP2008に三年ぶりの準決勝敗退。ねぇーありましたよ。

   そっからしずちゃんがボクシング始めるなど色々あります」

2009年

山里「12月M-1GP2009出てるからね!決勝。俺達。この時期もう一回

   南海キャンディーズを見直そうって時期だったの。悔しかったの、

   同期がめっちゃ出てきて2008年に。

   で俺が出ようって言って出たんですよ。

   この時ね、聴いてる人は2009?M-1?南海キャンディーズ?居た?

   あ、居た居た、スゲェ面白くなかったって皆思うと思うんだけど

   凄い負け惜しみなんだけど準決勝死ぬ程ウケたのよ。マジで!

   あの準決勝に来てた人に証明して欲しい位ウケて。

   恥ずかしいんだけど

   ここで俺が最も嫌いというネタ終わった後、ドーンとウケて

   ”これ行ったぞ!2009南海キャンディーズ復活の兆し見えたぞ!”って

   舞台袖帰ったらしずちゃんが歩いて戻ってくる所に向かって俺ねぇ

   拳を作って前に突き出したの。俺と若林君が最も軽蔑する人間をね

   ”ウィ”ってやってそれをしずちゃんが無視するっていうね。

   それぐらい手応え有ったんだけど決勝が鬼スベリね。

   鬼のスベリ方をしてしまったの。」

   

山里「長い?大丈夫?だって10年だからさ。これでも大分スキップしてんだよ。

   この間もスゲェしずちゃんに嫌がらせしてんだよ。スキップしないと

   俺が嫌われるっていうんで大分スキップしてる。

   でもその間一回もしずちゃんは悪口言わなかったらしいね。

   ビックリするよ。

   言っててほしかったね、せめて」

2010年

山里「で2010年からこのjunkが始まりまして」