A Certain smile,A certain sadness

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東京ポッド許可局「笑っていいともグランドフィナーレ論」

グランドフィナーレの感想からポストタモリ

80年代的バラエティと現在のバラエティの画作りの違いまで話されていて、

とても興味深かったので書き起こし

東京ポッド許可局2014年04月11日

鹿島「もう10日以上経ちましたけどまだうっとりしてる」

 

タツオ「ははっ。まだうっとりしてるんだ、鹿島さんは。割とガッツリ見た方ですか?」

 

鹿島「いいとも!」

 

タツオ「ははっ。いやいや違うでしょう、フリは違うでしょう」

 

鹿島「昼と夜ちゃんと見ましたよ」

 

タツオ「見ましたか」

 

鹿島「3月31日」

 

タツオ「331ですね」

 

マキタ「見ましたね」

 

タツオ「ウォッチャーとしての鹿島さんはどう見ました?あれ」

 

鹿島「いやっ、凄く面白かった、楽しかった。何て言うか、Twitterね、僕のTwitterぱーって見てたんですよ。興味深い事に二つの反応があって、『テレビ凄ぇ!』ってお笑い界の大御所たち、アベンジャーズが集結したじゃないですか、『テレビ凄ぇ!』ってのと、『フジテレビの最終回みたいだ』みたいな」

 

タツオ「あー!なるほどね」

 

鹿島「その二つが、いずれにしてもそれは前提として『凄い』と言う意味で、ネガティブなあれでは無いんですけど」

 

タツオ「確かにフジテレビの最終回っぽい感じはあったね」

 

鹿島「ただそれは僕はあのー、ネガティブな事じゃ無くて、それこそ僕が10代で育って、『いいとも!』が始まった時、10歳、11歳位だったじゃないですか、僕等って。あれで80年代のバラエティがずーっと楽しくて、前も言いましたけど『なるほどTHE春の祭典』で、”うわ!とんねるずダウンタウンが同じ画に居る!”みたいな事で密かに興奮してワクワクしてたじゃないですか、その溢れ出る行間っていうのかな?、それが久しぶりに、80年代のバラエティを自ら幕を引いてくれて、花火大会の花火って最後ドカーンとデカいじゃないですか、そう見せてくれた感じって言うのが面白かったなぁっていう感じ。だからあのぉ”これで本当にテレビが終わる”って言うんじゃ無くて、心機一転”さぁじゃあ明日から、また新しいテレビ何かな?”っていうケリのつけ方で面白かったです」

 

 

タツオ「マキタさんはどうでしたか?」

 

マキタ「俺はもう、大方賛成ですね。でも俺はその『フジテレビの最終回』って言ったら、第一期フジテレビなのか、もっと言うと、何て言うんでしょうかね、『笑っていいとも!』って東京タワーのさ、土産物屋さんみたいなさ、あるじゃん、店舗が並んでる所、途中からそんな感じがあってさ、あのー観光名所みたいなさ、あのーその土地に住んでる東京の人達とは違う、外側から見た『THE 東京』みたいなさ、『THE テレビ』とか『THE バラエティ』みたいな感じがあったと思うんだよね。土産物のバラエティ屋さんみたいな、みたいな感じがあったと思うんだけど、その店が閉じるっていう事、だった訳で、”そう閉じろ!閉じろ!”っていう”終わってしまえ!”って言うのは凄く、もっと過激な、PKさんより言い方だけど、”終りゃあいいんだよ!”っていう事は凄く思った」


タツオ「『いいとも論』っていうのは去年終わるって時にちょっと話しましたけど、どうでしたか?もう終わるって分かってて迎える最終回、と言う事で色んなタレント、芸人が出た訳ですけど」

 

マキタ「お前はどうだったの、見て」

 

タツオ「うーん、何だろうな、僕ちょっと何も感じなかったんですよね」

 

マキタ「へー」

 

タツオ「これ良い事なのか悪い事なのかちょっとよく分からないですけど」

 

マキタ「でもあれなんじゃない、俺が今言った見立てで言うと、あなた東京在住、俺ね『THE 東京』みたいなイメージなんですよ、『笑っていいとも!』って。途中からそうやって外側から見た人達のシンボリックな『東京』みたいなものをやっててくれてたと思うんですよ。ところがその土地に住んでる東京の人達が感じる自分の住んでる町『東京』とは違うと思うんですよ、感覚って」

 

タツオ「だから僕お昼に新宿行ってアルタ前通った時に映像が出てない時に」

 

マキタ「田舎者だなぁって思ったんでしょ?」

 

タツオ「いやどうなんだろ、そんな事無い」

 

マキタ「あーそう」

 

タツオ「お昼新宿とかを12時から1時位の間に中央線とか総武線で通る時に、アルタのスクリーンにあれが出てないとちょっと寂しいなぁ位な所ですけど。俺よくグランドフィナーレみたいな特番をタモさんが受けたなっていう、そこは。なんか照れちゃいそうじゃん、でもなんかちゃんと引き受けて、最後一応贈る言葉みたいなのを、儀式としてちゃんと受けて」

 

マキタ「あれ面白かったね」

 

タツオ「その儀式も芸人、タレント毎に立場の取り方とかあるけど、芸人は芸人らしくっていう人も居たし。誰はばかることなく泣いた人も居たし。ちょっとローラが泣くのどうなんだろうって思ったけど」

 

鹿島「ローラ良かったぞ!でも、ローラ良かった」

 

タツオ「でもここ1、2年じゃないですかっていう」

 

鹿島「でもそういうもんだって。昔鹿島アントラーズJリーグ開幕した時にジーコ来てさ、ジーコ確か2、3年で引退したんだよ。”ジーコありがとう”って、お前ここ1、2年だろ!ジーコ知ったのって。(でも)それでいいの!」

 

タツオ「そういうこと?」

 

鹿島「ローラとジーコは同じ!ジーコの引退を惜しむファンと同じ」

 

タツオ「ローラジーコ論」

 

鹿島「でもマキタさんさぁ、何かイライラしてたってなんかツィートしてたけど、あれ改めて」

 

マキタ「あのー、そのアベンジャーズですか?そのとんねるずとかダウンタウンとか爆笑問題が来てとかって、ナインティナインが来て、みたいな感じ、ウッチャンナンチャンが居てみたいな」

 

タツオ「夢の様だったよね。本当にアベンジャーズだったね」

 

マキタ「あそこは何て言うか、最高でしたよね。あそこは面白かったんだよ。だけど昼間のやつも録画で見て、グランドフィナーレも録画で見たんだけど昼間のたけしさんとか、あとあのスピーチ、あれとかも面白かったですよね。でも段々それとかから思い浮かべて、えー見てて、最後スピーチのこう感じになってきたら気付いたら貧乏ゆすりが止まらなくて、何だろうな、こうイライラしたんですよ」

 

鹿島「あのスピーチ後半?」

 

マキタ「うん。段々段々イライラしてきて、あのーまず一番最初に思ったのは、”俺なんであそこに居ないんだろう”ってのを凄く思ったのね」

 

鹿島「それがイライラの一つだった」

 

マキタ「うん。でタモリさんに対して腹が立ったわけじゃなくて、番組上終わって行く事を、例えばセレモニーをやるという事?形式ばった?えー事をやることに腹が立った訳では無い。かと言って共演者たち、自分以外出てる人達、何だったらタモリさんを独り占めしてるかの様な感じの人達に腹が立つかって言ったらそうでもないんです。いや嫉妬はありますよ。嫉妬はあるけどそれが第一に来てる訳じゃない。やっぱ、自分に対してなのかもしれない、カッコよく言うと。で『間に合わなかった感』って言うのがあって。番組には出られたんだけど、2回位出たんだけど。なんだろう、やっぱ間に合わなかった。一つの時代に間に合わなかった、というのは、つまり奥が一番憧れてた頃の、あの頃のフジテレビであるとか、もっとバラエティの全盛とか、そういったものの一番象徴的だった番組な訳じゃないですか。そこに間に合わなかった事の一つイライラってのが凄く大きくあったのかなと。と言うのと、俺もねぇタツオほどじゃないけど、あんまりセンチメンタルな気分に全然ならなかったんだよね」

 

タツオ「それはさぁ、予め”終わります”って告知を受けてたから。談志師匠の時みたいに、”談志師匠死にます”って言われてたから何とか大丈夫だった、みたいな、終わるって分かってたからね。いやでもさぁ、マキタさんそこに間に合わなかったって思えるっていうのは、まぁいい意味で強欲だよね」

 

マキタ「だから『主役感』。だから強欲だし俺の主役感だなぁって思ったのね。主役願望が凄い有るんだとも思ったんだよ。で、間に合わなかったって言う事と、でもあそこに間に合った人達が居て、でまぁ今のそういう主役、主力メンバー達が作りあげてる、そのバラエティ界隈の人達が皆結集してた訳じゃない?」

 

タツオ「確かになぁ。まぁそうだね。マキタさん、手掛かってたかもね?もしかしたら。武井さんがそこに居るって事は」

 

マキタ「或はそうだったかもしれません、分からないですけど。それはホント分からないけど」

 

タツオ「俺全然考えなかったわ、そんな事」

 

マキタ「ただ、違うんだよ、やっぱさ、『次の時代を作るのは俺達だろ!』みたいな青臭いな俺もある訳ですよ」

 

タツオ「まぁまぁまぁまぁいいでしょう、それは!それは言わなきゃ!そう思ってかなきゃ!」

 

マキタ「あのー、”オイ!やんのか!”みたいな、感じとか俺の中であるんですよ、怪気炎が上がってくる訳ですよ」

 

タツオ「そりゃ誰しもが持っていいんじゃないかな」

 

マキタ「そしたらやっぱり、なんかこう、見てたらとにかく疎外感なのか何なのか、とにかく自分に対してイライラしてきて」

 

タツオ「寂しいよ、寂しいんだよ」

 

マキタ「で、力がみなぎってくる感じ分かります?うぉーー!みたいな感じになって来て」

 

タツオ「凄いじゃん、マキタさん、いいじゃん。ジャッキーチェンの映画見た後の気持ちじゃん、もう」

 

マキタ「でもそういう闘争心とか、だから怒りって凄い寛美で、って書いたんだけど
だから俺『笑っていいとも!』が最後ひっくり返って『怒っていいとも!』みたいな感じになって、”いいとも!-、この野郎!”みたいな感じになれたのが、凄い自分の中で面白かったの」

 

タツオ「凄い事じゃん!!」

 

マキタ「けして『HATE』じゃないんですよ、これって。全然『HATE』な気持ちじゃ無くて、かと言って『LOVE』でも無いんですよ。愛憎半ばするって話をしたじゃないですか、それに近い感情なのかもしれないですけど、何とも言えない気分になって力が漲ったんです。で結果的に”あ゛ーい゛ー怒っていいとも!ーありがとうー”みたいな
分かります?この感じ」

 

タツオ「凄いわ」

 

鹿島「分かりますよ。その場に居なかった、ただやっぱりそのお笑いアベンジャーズ感は、それをどかして、ただただ圧倒さしてくれたじゃないですか」

 

タツオ「10年20年蓄積のある人達だからね」

 

鹿島「例えば途中でおすぎとピーコが上がって来たり、サンコンが上がって来たり
皆心の中では、”ちょっとどいてくれ!この人達だけにしてくれ!”っていう心の声ってあったじゃないですか?この画をずっと、あのアベンジャーズ達をずっと見ていたいっていう」

 

タツオ「鹿島さんが言いましたけどね」

 

鹿島「だって余計な画になっちゃう」

 

マキタ「でもあれだよね、ノリさんが連れてくる訳じゃん?ボケで。あのノリさんのイジリ方っていうか、場の荒らし方って俺大好きなんだよなぁ」

 

タツオ「ああいう空気感の人って居ないよねぇ、確かに」

 

マキタ「今居ないよ。ああいう壊し方する人って居ないじゃない」

 

鹿島「だから結局壊し方じゃないですか、ああいう余計な事じゃないですか。ああいう行間って、だから僕は最後フジテレビの80年代からの集大成を見せてくれたなっていうのはそういう事、つまりハプニングとか、まぁハプニングまで(行かないけど)」

 

タツオ「いたずらだね」

 

鹿島「”もう、これどうなってんの?これどこまで?”っていう、まさしくこれ同じ界隈で言うと、これ『プロレス』の楽しみ方と同じなんだけど、”あれホントどうなの?”、これ語り継がれるでしょ?まさしくそういう事なんですよ。で今面白いのが、あそこに居た当事者の人達がラジオとかで、もう当事者が喋ってる、っていう時代の違いさですよね。あれ何だったら誰も、もう答えとか語らなくてもいい時代が、少なくても80年代90年代だった。で僕等が、受け手が、何だったらずっと詮索して、裏読みを勝手にして、友達がいたら語り合うっていう、それが行間ですよね。行間のご褒美を頂いてるんですけど、今の時代の面白さって、どんどんどんどん当事者が語って、それがまたネットに流れてくる。だから松本人志さんがね、『ネットが荒れる』って言うのが凄く象徴的な言葉で、あれだけ皆ウットリして80年代王道バラエティの大花火を見てたのが、松本さんがあそこで『ネットが荒れる』って言った瞬間に、皆ハッと気づいた訳です。もうザワッとした訳」

 

タツオ「”今そういう時代だった!”って」

 

鹿島「そうそう。皆目を覚ましたんだ、ウットリ見てたものが。で『ネットが荒れる』が荒れるというか、僕は=『ネットが張り切る』、大好きなんですよ」

 

タツオ「『張り切る』、そうか張り切ったんだ」

 

鹿島「でーあれは自分が、(周りから)気にされるよりは、自分から言った方がいいっていう、まぁウィットよりはユーモアだと、僕は、まさしく体現したと思って。で一人だけあのウットリ空間の中にリアルを持ち込んだ事によって、実際それを石橋さんが楽屋で聞いて、”じゃあ”っていうので行ったんでしょ?リアルを持ち込んだ結果、ああいう展開が雪崩式に変わって行くっていう、まさしく、僕が見て来た、子供の頃から見て来た、大好きな色んなジャンルのご褒美ですよ、あれ。それ感じました」

 

タツオ「だからそれはもう、先週鹿島さんが言ってた長与千草とダンプ松本の試合を見る様な気持ちだったんじゃない?」

 

鹿島「それでだから皆ありがたく、ありがたく見ていた時に、一人だけ『ネットが荒れる』って突き刺す、今のお茶の間ってネットじゃないですか。そこに突き刺ささるので橋渡しをして、一気にあれが動いたっていうのが、僕は凄い興味深かったですね。ただのウットリ空間、だって実はね、僕は『プロレス者』ですから、裏番組も気になったんです。有吉反省会」

 

タツオ「プロレス者だから、はっは」

 

鹿島「そうですよ、それがプロレス者」

 

タツオ「流石ですなぁ、そうか!そうだよね!」

 

鹿島「自分がマイノリティーだったから、世間が皆そっちではしゃいでる裏で何をやっているかっていうのは」

 

タツオ「それ大事!確かに」

 

鹿島「これプロレスの興行でも大切な事なんです。昔UWFって団体が初めて東京ドームで興業やってる時に、”これ見に行かなきゃプロレスファンじゃない!”っていう時に、天龍源一郎って人が札幌で、ジャイアント馬場さんからピンフォールを取る、これ天龍意地なんです。”皆、お前そっち向いてるけど、俺ここで意地張ってる”、何だったら、それ20年経って、その偉業の方がイコールで語られる」

 

タツオ「歴史的価値はもしかしたら」

 

鹿島「だからマイノリティーの意地、有吉反省会があの晩はマイノリティーでしたけど、そこに目を掛ける、気付くっていうのは凄く面白い事じゃないですか?それも行間読む面白さで」

 

タツオ「あのアベンジャーズに対抗できるって事だもんね」

 

鹿島「逆に言うと、有吉反省会見ました?やってる事が『THE今のバラエティ』なんですよ。梅宮辰夫さんのお面を皆で被ったり、羽田恵梨香の改名が微妙じゃねぇか?って皆で(言ったり)。もう所謂、なんだったらキワキワ、キワモノになる所を、あの有吉さん的な、下品にしないあれで、完全に今のバラエティじゃないですか。でチャンネルを戻すんですよ、フジテレビに。そうするとどう見ても懐かしい感じの空気がそこには漂ってて、今のバラエティは裏でやってて、ここは完全な集大成の花火を打ち上げてるんだなってのが凄く面白かった」

 

マキタ「全体の視聴してたんだよね?」

 

鹿島「リアルタイムでは正直『いいとも!』だけみてました。で後で」

 

マキタ「なるほど、後で追っかけしたんだ」

 

鹿島「で、この頃こういう事やってたんだなって」

 

マキタ「流石だね、それはね」

 

鹿島「それはね、楽しかったですよ。少なくともプロレスで楽しんでた、野次馬的なもの、”あの時ああだったよね!”っていうのが久しぶりに『いいとも!』で僕は、もしくは有吉反省会も含めて、3月31日の夜てのは楽しめました」

 

タツオ「俺ホルモン屋のテレビで見たよ、オッサン4人で」

 

鹿島「え?そういう時はさ、ちゃんと銭湯に行って体を清めて。久しぶりに俺3月31日の晩は」

 

タツオ「もしかして?」

 

鹿島「はい、6時頃に入ってます。でテレビの前を綺麗にして」

 

タツオ「はっはっはっはっは。えー嘘?」

 

鹿島「当たり前だよ!いいトゥモローだよ!どんなハプニングが起きるか分からないんですよ!」

 

タツオ「好き過ぎない?」

 

鹿島「だからそこはそこの興行の勘が、臭いが、”あ、今日何か起きるな?”っていう」

 

タツオ「凄いね!鹿島さんやっぱりテレビに凄い期待してるね!」

 

鹿島「期待してるんです!テレビ大好きっ子ですから。『テレビに期待してる芸人』ですよ、僕は」

 

タツオ「俺もだから2回位増刊号出させて貰った事あるけど、それだけでも何か、”もう、間に合ってよかったな”っていう、ただそれだけだわ」

 

マキタ「あーそう?」

 

タツオ「やっぱ『ネタで出れない』っていう事情がよく分かる、時代、そういう時代だから、尚更諦めちゃってるのかも知れない、どっかで」

 

マキタ「俺はそうは思わなかったな。益々遠さを感じたけどね」

 

タツオ「それはだからマキタさん凄いわ」

 

鹿島「当事者としての話だよね」

 

タツオ「このままじゃいかん、次頑張って行かないと”って気持ちはあるけど、そこに居ない疎外感とかはまるで感じなかった」

 

鹿島「俺なんて銭湯入って備えてたからね」

 

タツオ「ハッハッハッハ」

 

鹿島「全然当事者じゃない、完全に視聴者側」

 

タツオ「視聴者としてやる気満々だったよね?余す所無く見てやろうみたいな」

鹿島「アッハッハッハッハ」

マキタ「昔さぁ、俺はちょっと前なんだけど、矢沢永吉さんが60歳を記念する東京ドームのコンサートやったんですけど、僕潜入取材一人で勝手にやったんですよ

 

タツオ・鹿島「あーーー」

 

マキタ「で、あのー行進隊みたいなやつが居て、矢沢さんの後ろで、左右、その上下100人に分かれた、小さい矢沢軍団たちがね、あのージムの矢沢みたいなね、が居るんだけど、それの内の一人になって。それがザッザッザッザってクロスしていくと、別れて行った先にポツンと矢沢さんが突っ立ってるっていう演出をやるために、俺は応募して、で受かったので俺それやったんだけど。その時にさぁ、裏側も色々見てやれと思って、スタッフが行く所の食堂みたいな所に行って、で色々弁当とか見てみたの。で我々に支給された弁当とか見てみたの。そしたらねぇ、弁当のグレード変わらないんだよね、多分あの弁当は仕出し弁当で、レベルで言うと恐らく、えーと200円~300円の間のやつだと思う、単価で言うと

 

タツオ「なるほど、そこそこするじゃないですか」

 

マキタ「え?それは我々が小売りで食べる時の値段ですよ、位のやつです」

 

タツオ「え?マジで?あーはいはい、そうなんですね、原価じゃなく?」

 

マキタ「原価はもっと安いと思いますよ。で、それから考えると、俺が東京ドームライブコンサートやるって言ったら、”相当遠いな”って思ったの。分かる?実際、矢沢さんて自前でコンサートを制作してる様な人なんですよ。何処にお金を掛けるとかが、それで測れて見える訳ですよ。弁当はやっぱコストカットするためにこの位の規模のライブだったらこの位の値段だろうって思ったけど、当時俺イベントいっぱいやってたので、自前で。大き目のやつもね、やってたので、”そうか!”と思って、矢沢永吉の偉大さが物凄く見えた。それと似た感覚で、『いいとも!』とか裏側出た時に、タモリさんがやって来た仕事の偉大さとか、『いいとも!』が裏側でどんだけ生番組で凄い事をやってたってのが見えた時に、”俺全然バラエティに届いて無ぇじゃん!”とか、バラエティとかショービジネス、ショー芸人とか、とにかく世界で、俺がやろうとしている事が何にも届いてないし、全然引っ繰り返せる所まで、まだ立って無いんだなって思う事が、凄く距離感が具体的に見えちゃったの。それがあったからなんだよ、俺」

 

タツオ「具体的な問題意識として持てたって事でしょ?」

 

マキタ「そう。だから余計腹立ったんだよね」

 

タツオ「だから逆に言うと、あそこに居ないって事が、次まだ出代があるって事よ」

 

マキタ「今の話聞いたらさ、裏番組有吉さんやってたんでしょ?」

 

タツオ「それ凄い事だよね」

 

マキタ「俺今ハッキリと有吉さんに嫉妬できる」

 

タツオ「そうだよね」

 

マキタ「凄い事だよ」

 

タツオ「そこだって、言ったら敗戦処理投手かも知れないけど」

 

マキタ「いやー伝説でしょう、確かに」

 

鹿島「東京ドーム興行の隣の後楽園ホールで、小さい所で、少なくとも盛り上げてたんですよ」

 

タツオ「要は他局はもう、思いっ切り重心をソコに掛けてるって事だから、凄い事ですよ、冠で。逆にタレントいっぱい集めるとかじゃ無くて、もうこれで通常通り行くって事だもんね」

 

鹿島「だからそれも同時に見れたのが、あの日は良かったなって思いますよ、僕は、凄く」

マキタ「なるほどね」

 

タツオ「次のタモリさんだよね、だからね、有吉さんそうなるよね」

 

鹿島「だから10年20年後、あの時、有吉さんはこれ(裏番組)をやってたっていうのが、一つの『いいとも!語り』と一緒にね、語られるわけでしょ」

 

マキタ「でもさ、その、タモリさん自らも言ってるけどさ、”今だったら江頭2:50がお昼の番組やる様なもんだよ”みたいな事言ってたけど、実は有吉さんなんじゃないの、一番、風合い的にはね」

 

タツオ「そうだと思う、凄いよね」

鹿島「だからあれだけね、『いいとも!』『いいとも!』で終わりましたから、またいつか見たいな、と僕は思うんですよ」

 

タツオ「何を?『いいとも!』特番?」

 

鹿島「うーん、タモリさんの、あの『いいとも!』。俺もうプランあるんですよ、東京オリンピックの、6年後の開会式の時にタモリさんフラッと出て来て、”オリンピック始めてもいいかな?”って言ったら、日本人全員それで纏まりますよ」

 

タツオ「いいですねー、それ!」

 

鹿島「最後スポットライト当たってね、ひょーっと出て来てね、で、”友達の友達は皆友達だ、世界に広げよう友達の輪”、そしたら海外のプレスは、”あの男は伝説的な、ギネスにも載ったコメディアンで、4ヶ国語も出来る!”っていう間違った報道も流れて」

 

タツオ「アッハッハッハ。”皆で広げよう、五輪の?”みたいなのあるかもしれない」

 

鹿島「僕は6年後の『いいとも!』はあるんじゃないかと思ってます」

 

タツオ「それ面白いじゃないですか」

 

鹿島「これ誰か秋元さんでも誰でもいいから伝えてください」

 

マキタ「タモリさん引き受けるかなぁ?やって欲しいけどね」

 

鹿島「でももう引き受けるんじゃないですか?もう『意味』とか『油っ気』とか排除してる方じゃないですか」

 

マキタ「それやったら面白いけどね。いよいよ凄いじゃない、東京オリンピックのそういうの務めた人がさ、タモリ倶楽部がある訳でしょ?より距離感が出来て面白い」

 

鹿島「だってイギリスとかオリンピックの開会式ってそういう事でしょ?やっぱりその国の」

 

タツオ「Mr.ビーン出ましたからね」

鹿島「コメディアン、偉大なる人が出てくる訳だから。俺タモリさんでいいんじゃないかと思って。これお茶の間の意見ですよ」

 

タツオ「何で運営側の意見w」

 

鹿島「運営側の意見になっちゃったけど、ふっふ、でいいんじゃないかなぁ」

 

マキタ「俺あとね、一つね、日本人ってどこまで行っても、ショーとかパーティとかじゃ無ぇなぁってって思った」

 

タツオ「確かにね!儀式」

マキタ「宴会!宴会!宴会!」

 

タツオ「式次第みたいなのがあるんだなって感じはしたね」

 

マキタ「それはねぇ、画作りにおいてもそうなんだけど、やっぱりねぇ、あれなんだよな、俺、全然質は違うけど、グラミー賞とかの演出とか見た事有るでしょ?あれってさぁ、ショーアップの仕方として画を作る時にさぁ、凄く立体的にさぁ」

 

タツオ「上からカメラがヌーンって寄って行ったりとかね」

 

マキタ「やるんだよ。それが、あとスピーチみたいなのがあって、ショーがあってみたいな感じとかやってる時に画の使い方が立体的なの。凄く奥行きを使ったりとかするんだけど、(日本は)結局一枚の画の中で行われてるさぁ、ワチャワチャやってる宴会芸みたいな感じじゃない、あれ『THE日本』だなぁって俺は思うんだよ。だからあれが、良くも悪くもさぁ、俺やっぱり旧態依然とした、そのバラエティとかフジテレビとか、あの映像で体感してたものとかが凄く感じた。今のバラエティの人達ってもうちょっと、凝った画とか使ったりすると思うんだよね」

 

鹿島「そう。だから俺はそこも含めて懐かしかった、あの31日の夜は」

 

マキタ「懐かしい。そういう意味だったら俺分かる」

 

鹿島「だから他からチャンネル変えて『いいとも!』戻すと、やっぱり郷愁すら感じたんですよね、”ああー何か俺見てたわ、こういう画”っていうのが久しぶりにバーンと出たからさ」

 

タツオ「意図的にそういう画作りだったのかもしれないね」

 

マキタ「それはねぇ、ホントそういう事有ると思う。石橋さんが『とにかく間口は広く』って言ってるんだって、知ってる?あの、普段からなんだけど。『間口、企画は広く、そして狭い所に連れ込むんだ』って。どんどんどんどんマニアックで狭い所に連れ込むんだっていう。狭い所っていうのはつまり自分達が好き勝手にやれる方に、部室に引きづり込むんだっていう事なのね。だけど間口は広くしとくのは、例えばあの人達は相変わらず、テレビとかで仕切ったりする時とかのコーナーの仕切り方ってさ、”さぁ!始まりました!”みたいなさ、ああいう言い方とかさ、あとテロップの出し方とかさ、古臭い事やったり、昔の『オールスター水着大運動会』みたいなさ、ああいうのが間口なんだって、全部。広めに取っとく、で画的にはペラッペラなやつにしとく、っていうのと方法論は同じなんだと思う」