いいとも!=大乗、タモリ倶楽部=小乗
「笑っていいとも!」グランドフィナーレ直前に
生放送で放送されたYES TVが大変興味深い内容だったので
ダイジェスト版を書き起こし
清水ミチコ「『せいこう』さんは、おいくつの時、何で知り合ったんですか?」
いとうせいこう「僕は、多分20歳位ですかね、学生の時に、ある珍芸自慢芸大会ってのに出て、で優勝して、そしたらLFの、ニッポン放送の人達が番組を持てと、”君面白いね”と、でその時に僕は生意気盛りだったから、”僕は使われるのはまっぴらだ”と、”使う側に行きたいから、どっか裏に回らせてくれ”って言って、その人が、ディレクターが偉かったですね、その人も『土屋』っていう人でしたけど」
倉本美津留「あ、ツッチー?」
いとう「ツッチー!土屋夏彦」
倉本「土屋夏彦や」
いとう「ツッチーが、”え?じゃあ誰の所に付きたいの?”って言ったから、”タモリさん”って言ったら、”俺が今ディレクター”って言って、”じゃあ来週から来なよ”って言って、でそこからレコード選んで、オールナイトニッポンの裏に居たんですよ」
倉本「オールナイトニッポンのADみたいな事やってたんや!おー凄い」
水道橋博士「元々早稲田で『タモリライフ研究会』をやってたんですよ」
清水「あーそうなんですか」
いとう「横入りでっていうか、先輩たちがやってたところに入ってたから、どんな風にして喋るんだろう?と、大好きっ、あの言語ネタが異様に好きだったから」
清水「私はそのオールナイトニッポンに葉書なんか出して、読まれたりとかしてましたからね」
いとう「じゃあ僕が選んでた可能性があるんだ」
清水「そうそうそう」
博士「凄い凄い」
清水「繋がりました」
いとう「繋がったわ」
清水「学生時代のライフワークですよ」
いとう「RCが来たのよく覚えてるんですよ」
清水「ハッ!」
博士「そうそうそうそう」
いとう「銀河スタジオに」
清水「私見に行きました、あれ」
いとう「え!!」
清水「ホント、ホント」
いとう「それ僕前説」
博士「RCが出た所を見たの?」
清水「観覧希望出して見に行ったのは」
土屋敏男「名古屋から?」
清水「名古屋からじゃないです、その時はもう東京でした」
いとう「その時前説僕ですから」
清水「えーーー」
いとう「僕がピン芸やって、番組が始まって、タモリさんが出て来て、清志郎さん呼んで、僕、好きなものだらけを横から眺めて、”何て凄い事があるんだ、世の中には”って」
清水「観客席に居たの」
いとう「その時清水さん居たかも」
清水「狭いね~」
いとう「狭すぎるわ」
博士「『愛し合ってる会』ですよ。でも『RCサクセション』って当時どういう存在かって言うと『ラプソティー』出した頃で、まだ3枚目で、あまり売れてない頃なんですよ」
清水「良く知ってるね」
博士「そうそうそう。でRCこれから来なきゃいけないって時に、タモさんが注目して
、”あ、これRCいいね”っていうので」
倉本「え?タモさんはRCも注目してたの?」
いとう「世に出したみたいな」
倉本「世に出したん?」
いとう「確かに、ライブに呼んだ経験がないから、少なくとも僕がやってた間は。
だからよっぽどの押しがあったんですよね」
倉本「なるほどねー」
いとう「ちなみにその時の前説を見てたRCのディレクター達が、”あの若い子面白い”って言って、RCのLFのラジオのCM、僕の声だったんですよ。凄い繋がるの。だから物凄くタモリさんは、こないだ喋ってて、こういうの、タモリ本出てるでしょ?
喋ってて気付いたけど、80年代って、ほとんど今までは『ピテカントロプス・エレクトス』、ね、『YMO』が居て『茂一』さんが居て、そうなってサブカルの牙城が『原宿』にあった!って言われてるけど、実は『有楽町』にももう一個、タモリさんを介して、泥酔した『陽水』さんが入って来たのも見てますからね。殴り込みみたいにして入って来て、喋って」
倉本「井上泥酔が!」
いとう「そうそうそう、井上泥酔が」
倉本「入って来て、そうですか!」
清水「あの頃の『ニッポン放送』ってちょっと悪い電波沢山流れててね、凄い良かったんですよね」
いとう「危険な電波がいっぱい流れてた。でも最初に『笑ってる場合ですよ!』から『笑っていいとも!』になって、タモリさんってなった時、やっぱりタモリファンとしては、”えええええ!?無理無理無理!”と思いましたよね?」
清水「無理無理無理!思った。まずお昼じゃないしと思った、何で自殺行為を?って思った、全然」
いとう「お互いにですよ、フジテレビにとってもタモリさんにとっても。
恐らく次の企画があるけれども、ブリッジとしてやるんだ、っていう解釈ですよ」
倉本「それ位の感じやったんちゃうかなぁ」
博士「でもよくタモさんが、”その時の存在が江頭2:50みたいだった”って言うけれど、
そことはちょっと違いますよね」
いとう「エンターテイメントやってたからね、お洒落な番組も」
博士「そんな『瞬発芸』じゃなくて、あのーちゃんと司会もやってたし、『今夜は最高!』なんかあったし。ただその『昼間感』が無い」
倉本「毎日っちゅうのがね」
土屋「だから『昼間のテレビ』っていう皆の概念と、『夜のテレビ』、特に『今夜は最高!』は夜の11時とかね、ああいうのが違うものだ、それが違うテレビなんだ、
って言う事は逆に言うと皆の頭の中に固定化された時代っていうか、11時のテレビっていうのはお洒落なんだっていう、そういう時代が、逆にタモリさんが作ったていうね、まぁみたいな、例えばサントリー一社提供みたいな所も含めて、多分そうなのかもしれない」
清水「音楽とコントとかね、珍しかったですもんね」
いとう「ただまぁ言ってみれば、『シャボン玉(ホリデー)』とかがやってた事を、
もう無くなっちゃったんだって思ってたら、タモリさんが一人で背負っちゃって、上手にやって、しかも楽しそうだったんですよ」
清水「楽しそうだった」
土屋「お洒落だった。で例えばサブカルと言われるものがメジャーな、そういう所にもやっていいんだ、テレビでもそういう事があるんだな、ってテレビをもう一度揺り戻しした所に、昼に来たから」
博士「だから『今夜は最高!』のクオリティで月~金で出来る訳無いし、そういう事ですよね」
土屋「そうそうそう、そういう感じは皆思った」
いとう「しかも自分を理解しない人が、どんどんゲストに来るに決まってる時に、
どう振舞えるの?嫌な顔しちゃわないかなぁ?っていう」
清水「そうそうそう。実際だって『小田和正』さんの時とかさぁ、怖かったもんね」
博士「あれは『さんま』さんが呼んだんだよね」
清水「そうでした?あ、わざと?」
土屋「ああ、そう?」
博士「そうそうそう。”ラジオで悪口言ってたら、昼間にどう言うか?”っていうので」
土屋「『さんま』さんが呼んだんだ?」
博士「そうそうそう」
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博士「『いとうせいこう』さんが(いいとも!の)コーナーやってないって、さっき初めて聞きました」
いとう「やる訳無いじゃないですか、僕の様な者が、下々の者が」
清水「世間は思ってませんよ」
いとう「あれは」
土屋「え?レギュラーやってないの?」
いとう「やってないですよ、僕は!」
清水「やってそうですよね」
いとう「テレフォンに3回位です。いや、あそこはピチピチの、若いタレントさんがあそこから上がって行くっていう」
倉本「『いとうせいこう』はタモリさんの尖った部分を受け継いで、こっちの方で新しい事をずーっとやり続けてる人やもんね」
博士「『男タモリ』ですからね」
倉本「『男タモリ』」
いとう「意味が解らないw『女タモリ(清水ミチコ)』が居るからねw先に『女タモリ』が居るからねw」
倉本「『いとうせいこう』が大阪のライブハウスで、凄い面白い奴が居るっていうので見に行ってるんですよ」
清水「誰が?」
倉本「『いとうせいこう』の事を」
いとう「呼んだのは『らも』さんなんですよ」
清水「え?ラッパーの前に?」
いとう「位かな」
倉本「色んな事してたんですよ。『スティービーワンダー』のネタとかね、ドップラー効果のネタとか」
いとう「弾いてるんだけど、コードが見えてコードを跨いじゃうスティービーワンダーね」
清水「何河内ですか?」
倉本「そうそう!あれ思いだしたもん、佐村河内の時に、『いとうせいこう』のワンダーネタを、思い出した思いだした。それは大阪の時、僕、らもさんに可愛がって貰ってたから、”面白い奴いるから見に行った方がいいよ”って言われて見に行ったのが、『いとうせいこう』。その時見た時に、”タモリさんがやっている様な事をやっている若い人間が、やっぱり東京には居るんだな”と。しかももっと『際』行ってるなっていう。そんで、最初の衝撃がそれやったんすね。それがタモリさんのラジオのADというか作家やってたっていうのは今日知った訳ですから」
いとう「今日知ったの?」
倉本「そうそうそう。何じゃそれ!と」
博士「だって『タモリ倶楽部』で『いとうせいこう』さんだけを特集している所へタモさんが行くってのがあるんですから」
いとう「よく知ってるね!」
清水「いいなぁ」
いとう「若かりし頃の僕、まだビデオがギリギリ残ってるんですけど、僕がピン芸をずっとやってるのをタモリさんが一人で見てるっていう」
倉本「凄いなそれ」
博士「その前にADの関係があるのにだよ」
いとう「そう。二人とも忘れてるっていうか、”ああ、君か””お久しぶりです”みたいな感じだけど、それは『景山民夫』さんですよ、だから呼んだのは。景山さんがタモリ倶楽部やってた訳じゃないですか。景山さんが色んな所から面白いの拾って来て、タモリ倶楽部に入れてた時代ですよ。何故ならば何年か前に僕が見つけて絶対に見たくなかったけど、見てみた時に、自分のコーナーがプツッと終わっちゃうんですよ、そうすると前に入れてたタモリ倶楽部の録画したやつが『戸川純』だった。その時期戸川純がテレビに出るなんてね、当時異様な事ですよ、やっぱり」
清水「奇しくも『今夜は最高!』の最終回か何かが戸川さんじゃなかったでしたっけ?」
いとう「そうですか?」
清水「最終回から二回目かなぁ?なんか戸川純って名前を男だって思って入れたっていう、凄いオールナイトニッポンで何回か言ってた」
いとう「不思議だねぇ。だから言ってみたら、それでも分かるように、僕は自分を『サブカルチャー』だと思った事は無かったけど、でも『サブカルチャー』と『芸能界』っていうのがタモリさんの所で上手に結び付く様になってる」
清水「ホントだ」
土屋「それ80年代?」
いとう「80年代」
土屋「ですね」
いとう「これが無くなっちゃうと、元々芸能界ってサブカルみたいな人ばっかだった訳じゃないですか?皆遊び人で、色んな変な人いっぱい居て、実は遊び人がテレビに出ただけだから、元々サブカルっぽいのに芸能界っていうなんか上っぽいものになっちゃった所をもう一回復活させて、元々はだって飲み仲間でしょ?みたいな感じにしちゃった所もありますよ、タモリさんが」
博士「あれですよね、『今夜は最高!』みたいなのが、芸が出来る人、ボードビリアンみたいな人を沢山呼んで、必ず楽器をやって、しかも歌うっていう」
いとう「『団しんや』さん的な、ね。カッコいいんだよね」
博士「事をやってて、タモさんが居て、だけどあまりにあの構成だと続かないから、半年休むみたいな」
いとう「そう、クールでね。だからエピソード1とか4とかって事をもうやれてたって事」
清水「あ、そうでしたね」
博士「で、『桃井かおり』さんの番組が始まったんだけど、でも3か月位で止めて、また戻ったみたいなのがあったんだけど。だからそういう意味だと、タモリ倶楽部ってそういう意味で作ったんでしょうね、だからそういう文化系の人と」
いとう「呼べると」
博士「タモさんが趣味の世界で喋れる、もうゆるーい、コーナーがどんどん進まなくていいものみたいな」
倉本「でも『モンティパイソン』で初めて見るじゃないですか?テレビでは。モンティパイソンが大好きだった僕からしたら、タモリのあれがちょっと嫌いやったのね、むしろそんなんや無くて、もっと見たいのに」
いとう「モンティパイソン見たいのにって」
倉本「そうそう。」
清水「イギリスのあれを見たいのに」
倉本「そうそう。ほんで凄い違和感があるからさ、タモリさんの芸って。そんでテレビでやる芸と言うよりも、ホント密室でやる芸をテレビで見るやんか、モンティパイソンとの世界観で”んーー”とか思いながら、”でもこのひとりでよくこんな時間ももつな”とかね、モンティパイソンはイギリスで何人もやってるのに、堂々と一人で出て来て、レコードを掛けながらこう(指揮者のふり)して、”違う!”とか言いながら又元の戻して」
博士「なんでしたっけ?モンティパイソンでやってたのは、作曲のあれでしたっけ?」
倉本「そうそう、指揮者のやつ、レコード盤の指揮者のやつやってたりとか。でもその後テレビに出だして、テレビの方で、日本のテレビの中で壊していく感じを、割とその時代まだまだ壊れてた時代やけども、その中でも違う臭い出したいなっていうのをやってはって。よう覚えてるのが、『噂のチャンネル』でね、和田さんの、『噂のチャンネル』の後半位にタモリさんが出て来たのね。出だして、タモリさんがホワイトボードに□(四角)をいっぱい書いてて、多分”俺四角書いてるから、”何書いてるの?って聞いて”って言ってたんやね、でCM開けに四角書いてて、”タモリ何書いてるの?”って和田さん聞いたら、”マスかいてるの”って」
博士「そんなネタばっかでしたよ」
清水「大好きでしたよね」
倉本「これをね、めっちゃ覚えてる、”オモロイなー、やっぱこの人オモロイわ”って
そっから好きになって、そっからオールナイトニッポンとか聴きだすんね」
清水「タモリさんのルックスと下ネタって変に似合ったんですよね」
いとう「『洒脱』に見えるんでしょうね」
清水「そうそうそうそう」
いとう「下卑て聞こえない」
博士「『きゃんたま袋』とかよく言ってましたよね」
清水「そうそう、それのカバーも作ってたんだよね、知らない?
ジョン君カバーとか知らない?ニットで編みましたとか」
倉本「ジョン君って言うててんね」
いとう「ペニスケースだ」
清水「だからホント下ネタ強くなったもん、はははは、ホントはね」
いとう「今も酷いんでしょ?『いいとも!』の間とか、CMの間とか」
清水「ああ、好きかもね」
博士「物凄いですね」
いとう「物凄いって、僕の時も、僕が去年年末出た時も、確かに下ネタになったんですよ。そしたらあの後、終了、終了発表の後に大野ケイスケって作家が、まぁまぁちゃんと売れてるのに、”こりゃ『笑っていいとも!』入らなきゃいけない”って言って、志願して、多分ボランティアで入って行って、”いとうさん凄いんですよ、合間合間に、ずーっと凄い下ネタなんですよ、枯れてないんですよ”って」
清水「はっはっはっは」
土屋「お客さんって女の人ばっかりじゃないですか」
いとう「全然平気で」
土屋「へーーー」
清水「なんかさぁタモリさんって楽器出来るとかね、ブルースが即興で歌えるとかね
色々器用じゃないですか、だけどなんか『禅』みたいな心を持ってるじゃないですか。だから私それに日本人が皆きてるんじゃないかと思って」
博士「合気道じゃないですか」
清水「合気道か」
いとう「合気道やってたの?」
博士「合気道やってたんです、二段でしたよね」
いとう「そうなんだ」
倉本「段持ってんねや」
いとう「合気道そんなやってたんだ」
清水「何かちょっと特別な感じだもんね」
土屋「『仏教』の研究凄いですよね。だから僕前『中沢新一』さんのイベントの時に
ちょっとその打ち上げに行ったら、中沢さんとタモリさんが論争してる訳ですよ」
いとう「ヤバい。『中沢新一』と論争出来るって相当ですよ、チベットで修行してた人ですよ」
博士「宗教学者ですからね」
土屋「”大体『玄奘』が悪いんだ”と、『玄奘』、『三蔵法師』ですね。あれが、要するに中国語に訳した時に。あれが誤訳だから、だから『仏教』はあそこで間違ってる”って、”何故なら俺は『サンスクリット語』が分かる”って」
倉本「タモリさんが?」
土屋「タモリさんが」
清水「はっはっはっは。滅茶苦茶な事言ってる」
土屋「ホントに。だからその話を中沢さんとしてて、横で聞いてて、”あ、ヤバいな”と思って俺ちょっと離れた」
倉本「でも説得力ある話やな」
土屋「だから『仏教』の事物凄く大好きなんですよ」
いとう「なるほど。今、だって『釈迦』が生まれたらテレビやるでしょうからね」
土屋「あー」
いとう「やっぱり自分の考えを言うなら」
清水「スゲー」
博士「布教の為に」
いとう「うん、布教の為に。”いや全て儚いよ”と、”流れ過ぎるよ”と、”我なんて出すもんじゃないよ”って思ったら、テレビ出るもんね」
博士「『いいとも!』は『大乗』だよね?そう考えると」
いとう「『大乗仏教』ですよ」
土屋「『大乗』だ」
いとう「どんな欲深な奴もさ、ボーっとした天然の奴も入れるもんね」
倉本「そうか!ホンマや!」
博士「『小乗』でしょうね」
いとう「好きな奴だけ集めて」
清水「なるほどなるほど」
博士「信じる者だけを救ってる」
倉本「宗教観で二つ番組持ってんねや」
いとう「なるほど、凄いね」
倉本「よう分かったわ。『大乗仏教』無くなるけど大丈夫?」
土屋「これマズいでしょ?日本人の心の、代わり、誰か作らないと」
倉本「ホンマやね」
清水「でも居るだけで象徴かもね、毎日じゃなくてもね」
倉本「だから日本テレビでやりましょう、これホンマに申込みに行ったら洒落が効く人やからやんのんちゃうかな?」
土屋「ねー」
いとう「俺は、どっかの本で、あ!って思い付いて言ったけど、今『笑っていいとも!』が終わっちゃったら、今タモリさんがね、もっと過激になってると思うんですよ、もう楽になっちゃってるから、一回放り出したと、そのタモリさんを扱えるほどテレビ界が今自由なのか?って問いを、俺は問いたい」
倉本「確かに」
いとう「だからひょっとして俺はラジオやるんじゃないかって予言を」
博士「そう言ってましたね、むしろラジオに帰るんじゃないかって」
いとう「むしろラジオに帰るんじゃないかっていう、ラジオ楽じゃん!」
土屋「ラジオを救うんだ!っていうか新しいラジオ、ラジオの価値をもう一回」
いとう「だって『説法』だからね」
土屋「ね!」
博士「説法ですよ」
土屋「『大乗仏教』だからね」
いとう「どんなテレビが『いいとも!』の後タモリさんと一緒に出来るラディカルさを持っているか」
清水「そうだねぇ」
いとう「大変だと思いますよ、今。」
倉本「でもタモリさんが休憩時間に、そんなに下ネタ言うとかね、今日でもあの、『いいとも!』そんなにずっと見てた訳じゃないですけど、ゲストが来て、仲のいい陽水さんが来たりとか、まぁたけしさんもそうだけども、そういう時に、タモリさんの無茶苦茶さの事が話出るじゃないですか、まぁ酔い覚ましに番組やってる事とかね、やっぱりそんな事を聞くと、僕はずっとタモリさんが『いいとも!』やり始めて、あの無茶苦茶タモリはどっか行ったのかと思ってたけど、ずっとキープしてたって事が分かって」
博士「朝まで飲んでますからね、最近は少ないけれども。ただ悪い二日酔いにはなった事が無いと。ボヤーッとしてるけどそのまま番組やってると二日酔い覚ましに良いっていう」
倉本「二日酔い覚ましにしてるし、休憩時間に下ネタバンバン言うし、やっぱりテレビのセオリーを壊していく感じも、ちょこちょこ、ねぇ、やっぱり出してるだろうから、あの人ずっと凄かったんやなぁって改めてね、なんか」
土屋「いや、凄かった。深みっていうかテレビにテレビ化されなかった人」
いとう「上手にそこを」
土屋「だから、やっぱりテレビに出てるとテレビ化されちゃう訳じゃないですか」
倉本「あんなにも毎日出ててね」
いとう「そうだね。”ここはこう言っといた方が良いだろう”って思っても、言わないんだもんね、黙ってるんだもんね、ニヤニヤして」
清水「黙るって事が普通出来ないですもんね、芸人じゃあ」
土屋「実はそれがテレビでしょって事をしてたっていう。だから32年、なんですよね」
博士「『さんま』さんじゃ手数が出過ぎるもんね。言ってましたけど、こんなスタイル(両手を振り回す)でやってるから」
土屋「タモリさんとか『たけし』さんとは違うっていう」
博士「こうやって黙ってるってのは出来ない。たけしさんでも喋りますよ、行きますよ(パンチを出すジェスチャー)」
土屋「そうそうそう」
清水「普通だよね、普通っていうかそれが仕事だからね。喋って下さいって言われてるから、タモリさんがやっぱりちょっと」
いとう「あの仕切り方は誰も出来ないと思うんですよね。ワーって黙ってる時に、パッてなって、テレビに抜かれても、抜かれたら自動手的に何かやっちゃうでしょ?人って。だけどニヤニヤってして、フリもしないんだから、”そこどうなの?”ってフリもしないんだから。そうすると誰かが、誰かが何か言ってくるっていう、埋まって行くっていう、それでそっちの方を見るっていう、これだけだよw」
清水「はっはっはっはっは」
倉本「見る感じ」
いとう「”君かぁ~”って言って、また黙ってニヤニヤニヤってして(正面見る)、でまたどっかから意味が発生する状態を、こう仏が見てるんですよ」
倉本「『仏』やね」
いとう「はっはっはっは、『仏』やね~」
倉本「ホトケ!」
いとう「あ、タモリじゃなくて」
倉本「タモリじゃ無くて、カタカナでホトケ」
博士「だって『ミュージックステーション』なんて、あれ修行の一環でしょ?」
倉本「修行やね」
博士「だってあれだけ該博な音楽の知識があってですよ、あと歌詞の世界に物凄い煩い人が、次から次へ毎週出てくる歌手の世界を、何一つ批評する事無く、”続いては”って」
清水「あの透明感は何?」
いとう「あの興味の無さは何?あれ」
倉本「そこに入り込んでたら言いたい事いっぱいあるもんね、そこに蓋出来んねんね」
清水「笑わせなきゃってきっと思うと思うんだけど、全く」
いとう「やらないですよね」
倉本「修行や、修行を乗り越えてはんねや」
清水「大体の歌の司会の人って、もう少し濃い人が多かったじゃん?見易い、ミュージックステーションって」
いとう「司会が前に出て来ない」
清水「うん、そうそうそう」
博士「だけどそういうタモリさんだから、『タモリ論』の中で、樋口さんがね、『小沢健二』の歌詞がいかにすごいかって、タモリさんがあれだけ強調したから、だから『小沢健二』」
倉本「ゲスト」
博士「『サヨナラなんて言わない 左へ曲がるカーブで 光る海が見えて来た』、あの歌詞は誰にもかけない、ってタモさんが『いいとも!』の中で了承したから、それを改めてここで言ったんですよね」
倉本「歌ったんでしょ?」
博士「そうそうそう」
倉本「そういうフリがあったんだ」
博士「だから『左へ曲がるカーブで』の話した後、次のゲストは安倍晋三だって、今日に右に旋回したんですよ」
全員「あっはっはっはっは」
いとう「ホントだね、上手い事言った」
倉本「そういう言い方をしたのは博士が初めやね、流石やね」
博士「いやいやいや」
土屋「ちょっとコメディアンの水道橋博士を見た」
清水「批評するのは止めましょw」
博士「一ネタ入れてみました」
清水「そっち側で」
いとう「色出してくんだよね」
清水「喋りにくいわ」
博士「喋りにくいわ」
倉本「昔小林信彦さんの『日本の喜劇人』、あれ読んだ時に、丁度その頃にタモリさんデビューした頃で、最後の方タモリさんの事も書いてあるのね、んで、その時の論では、タモリは『トニー谷』に通じる所を感じると、トニーが凄く破滅的に生きたと、あれを感じるのでタモリは長続きする気がしないんだけど、ってその時バーンって言うてたね」
清水「破滅的じゃないもんね、全然」
倉本「そうそう。でもそういう文章よく覚えてて、まぁ全然当たっていない、と言うか真逆やったなっていうか、それを思うと逆に象徴的な文章やったなと思いましたねね」
博士「トニー谷さんてのは凄く皮肉屋で、ボードビリアンでも楽器が出来なきゃ駄目だけど、凄く悪口をいう人だったんですよね」
いとう「それであまり絡むのが上手じゃ無かった、人と絡むのが上手じゃ無かったタイプだよ、映画とか見ててもね」
清水「だから司会で、こう”次に、次に”ってのはお上手かもしれないけど、こう仲良くしゃべるっていう、バラエティノリは難しかった」
いとう「気持ちを引き出すのは、多分トニーさん下手だったんだと思う」
博士「でもね、晩年そのトニー谷さんがタモさんを凄く可愛がったっていうのが出てきますね」
清水「『今夜は最高!』にも出てらっしゃいましたもんね」
土屋「そうか」
いとう「やっぱ感じるんだな」
博士「あとよく『小松政夫』さんとよく絡んでたなって僕凄く思うんですけど」
全員「あー」
博士「殆ど初期のタモさんの芸って『小松政夫』さんと連携でやってませんでした?」
清水「木工所のなんか良かったですよね」
いとう「そうそうそう、そうなんですよね」
倉本「あの辺のね、アドリブでね、インプロビゼーションであっこまで面白く持って行く感じを、生とか目の前でやられるのは、僕等は若い時、子供の時見せてもらって、”もうそれが出来なきゃ”って感じやったけど、やっぱ今なかなかね、あの感じをね」
土屋「あれは、小松さんとは番組でって事なのかな?」
博士「番組も『11PM』とかもよくやってたし、合宿して、二人で、タモさんを呼んで、小松さんの家に、それですべてアドリブで、漫才もやったし」
いとう「九州コンビだ」
博士「そうそう。そうなんですよ、それが博多」
いとう「『博多っ子』があるんだ」
博士「『博多っ子っていう概念、で(いとうは)博多っ子笑いが好きって概念がある」
いとう「俺そうだわ、『したコメ』も小松さん2年位お呼びして、やっぱ話聞いて、
いまだに面白いですよ」
清
水「あれ、あなたは『江戸っ子』ですよね?」
いとう「私は葛飾区っていう汚い、寅さんとかの」
倉本「江戸っ子が『博多っ子』が面白いと」
いとう「うんうんうん。『伊東四朗』さんに賞を差し上げた時のプレゼンターが小松政夫さんで、もう賞状もった途端、”アンタは偉い!”って言った時はもうズッコケる位笑ったもん。やっぱり面白いんだよね。忘れてないんだよね、常に狙ってるんですよ。だけど気配は消してるの。”面白い事言いますよ”の気配は消してる感じは凄く似てる」
清水「ホントだ、小松さんもそうだ」
いとう「なんか博多の人には独特なのかなぁ、あれ。分かんないけど」
清水「ホントですね。意外と恥ずかしがり屋さん多い」
いとう「でやる時はやってくるっていう」
博士「『バカリズム』も」
いとう「あ!バカもそう!」
博士「バカリズムもそうだから好きなんじゃないかっていう」
土屋「バカリズムも九州?」
倉本「福岡ね」
いとう「福岡か」
清水「あー”面白い事言います”って顔しないね」
いとう「しないでしょ」
倉本「確かに確かに」
いとう「低音のまま保っておいて、でもギュンって温度を上げられる、でも見た時はまたスーって戻れる」
博士「面白い事言ってるでしょ”って感じないじゃないですか、皆」
清水「無いね」
いとう「ああいうのが好きなんですよね」
清水「見てて楽だからね」
いとう「そう、楽。誰か居るんじゃないかな、今、博多の、博多イズム。皆で探しに行ったらいいんじゃないかな」
倉本「新人を?」
いとう「新人を」
清水「絶対難しいよ」
土屋「博多お笑いの系譜を」
いとう「だってタモリさんみたいに、皆で宴会してたら入って来ちゃった訳だから、『山下洋輔』さんの。宴会で来ちゃって一晩大暴れして、スッて居なくなって、”誰だったんだ?”っていう」
清水「ホントに神がかってるね、色々」
いとう「神ですよ、神」
倉本「”アイツ誰だ?探せ”で見付けられて、今のタモリある訳ですから、どんな話やねんっていう」
いとう「この(タモリ年表フリップ)”ドンチャン騒ぎに紛れ込む”で普通、”俺!俺!”で出て来ちゃうのに、出て来ない、居なくなっちゃうんだから、スーッと、まさに。で皆が探して、”あの地蔵は何処に行った?地蔵は何処に行った?”みたいな感じで見付かって呼ぶんでしょ?」
土屋「そこ3年(宴会に紛れてから上京するまで)ありますもんね?」
清水「ほんと不思議」
博士「モダンジャズ研究会の頃に、もうすでに『巨泉』さんには会ってて、『巨泉』さんの司会の番組にはかなり出てます」
いとう「そうなんだ」
清水「で、うちの弟はタモリファンで、やっぱり、モダンジャズ研究会に入ってます。”タモリノートを見た”って」
博士「でその頃番組出てて、”アイツ凄いな”って言われてたけども、やっぱりサラリーマンになって、別に芸能界に進む訳ではなく、で山下洋輔バンドの人達が来るのを見計らって、そこに行ってる訳ですよね、九州に来てる所へ」
清水「で赤塚さんがお呼びしたじゃないですか、で私が好きな話が女性自身に載ってて、ずっと居候してて、”え?お前奥さん居るの?2年間ほっておいたの?”ってビックリして、そっから(呼び寄せた)」
博士「それを言ってないっていうね」
清水「凄くないですか?独身みたいな顔して居たっていうのが」
いとう「訳分かんねぇ」
清水「訳分かんない。奥さんも大したもんですよね」
土屋「2年間、カミさんが居るって言ってないんだ?赤塚さんに」
博士「しかも赤塚さん家に居候してる、赤塚さんはもう外に出てるんですよ、自分の仕事場に行ってて、で自分の自宅を完全に貸してるんです。で毎日宴会しながら、で奥さんが居る事言ってないていう」
清水「で奥さんに”アナタを置いて一人で上京した夫の事をどうやって信頼しました?”って聞いたら、”元々肝が据わってる人だったんです”って言ったんですって、カッコよくない?素敵な一言ですよね」
倉本「凄い嫁に愛されてる男やね、凄いね」
いとう「ブルーノートとかに出ちゃってるらしいですね」
清水「ブルーノートに?」
いとう「噂で」
倉本「タモリさん?」
清水「新宿のジェイじゃないですか?新宿のジェイでしょ」
いとう「違う違う、この頃、この頃」
倉本・清水「この頃?」
土屋「あ、最近?」
いとう「最近外タレのジャズ見に行ったら、フッと見たら途中からタモリさんが入って演奏してるって」
倉本「セッションしてるの?」
清水「凄い」
博士「ウディアレンみたいな話」
いとう「そう!それウディアレンじゃんって」
清水「洒落過ぎてる」
いとう「”この頃羽伸ばしてるんですね”って普通に言ってるけど、羽伸ばすとか言う事じゃないから」
博士「え?ドリカムがトランペット贈った時も、もう一切、ドリカムと10年前に共演した時に、あの吹いた時以来、トランペットは一回も吹いてないからみたいに言ってましたけど」
いとう「そう?」
博士「今週言ってましたよね」
いとう「何かやってるって」
土屋「噂?」
いとう「誰かに聞いた、見たって、誰だったかは思いだせない」
全員「あっはっはっは」
清水「おかしいでしょw独り歩きしてるんじゃない?」
いとう「そうそう」
清水「段々時間が無くなって来ましたけど」
土屋「宗教家であるって一つの見方も今日ね」
いとう「分かりましたね、『説法』だっていうね」
土屋「『釈迦』である」
いとう「『釈迦』だったんだ」
倉本「『タモリ仏教』ですよね」
博士「タモリ教を作れって出てましたけどね、新宿にね。このまま(マイクを持ったタモリ)って言ってましたけど、釈迦の形でいいですね」
土屋「大乗仏教の場が無くなるのが、ちょっと大丈夫か?っていう」
倉本「仏師が掘り出したらいいよね、木でね。”木にタモリさんが埋まってる”とか言い出して」
いとう「そうそう」
倉本「やって欲しい、やって欲しい」
博士「『みうらじゅん』さんなんか噛ましたらすぐね」
いとう「やると思う、寺を探し出す、”ここに置いた方が良い”って」
土屋「逆にだからこれからもっと、こう街に出て行くというか」
いとう「そう、だからブルーノートに出てる噂が、そういうの『空海』とかよくあるじゃない、”ウチの山に来た”とか」
倉本「あるあるある」
土屋「これからだから固定じゃ無くて、動くタモリになる訳ですよ」
倉本「大分年取ってからでもね、『北斎』なんかでも70越えてからね」
いとう「そう、旅してるんだから」
博士「『ブラタモリ』を東京限定にしないでほしいと」
倉本「そういうことだ」
いとう「『タモリの細道』、番組が決まりました」